「ブログは個人の感想だから正確でなくてもよい」わけねーだろ。

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そら書くのは自由だが誰でも見られる空間に投げ込むんだから反応が来るのは当たり前。そこで良いものを提供できれば賞賛され、退屈な意見、誤情報、ピントのズレた視角を述べればゴミカス、デマ野郎、電波の無駄遣いと罵られるのも致し方ないことだ(そしてそう口汚く罵る側が品性に欠けると批判されることもまたそう)。

そんな場であってニュースや学術論文が自らに高い正確性を敢えて義務付けるのは何故か? 信頼を担保するためだ。
ニュースだから、学術論文だから自動的に正確さを求められるわけではない。その正確性さは誰が求めるのか? 自らを何と位置づけ、どう見られたいかということが己に求めるのだ。

だからこれは「うちは個人の感想書いてるだけだから正確性は低くてよい」と言った時点で筆者が「その程度」、そのブログなりなんなりが「その程度」だということ。
混同してはいけないのだが、これは「所詮素人のブログなのだから差し引いてみるべきだ、無視するべきだ、そもそも読む時間の無駄だ」という読者のリテラシーとは無関係の話である。

また、これだけネットが多くの人の日常に浸潤している現在では、もはや「バカはスルー」が唯一のリテラシーだとも思えない。それが誰かの生や自由について悪や不都合を成すことあれば、見なかったことにするだけ世界が悪くなってゆく。デマ野郎は吊るすのが世のためだろう。

デマゴーグ、ファシスト、詐欺師たち、そして善意の人々の無知と怠惰はいつの世も湧いて絶えることがない。それを逃さず否定してゆくことは、自由で公正な社会を願う我々の義務である。