書評:『明日と明日』(トマス・スウェターリッチ)

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以下、ネタバレあり。

『明日と明日』、非常に良いノワールだった。
舞台の仕立ては一見SFなのだが、読後感はエルロイの『ブラックダリア』のそれに酷似していた。

舞台は近未来のアメリカ。脳と視神経に手術で「アドウェア」という端末を埋め込み、ウェアラブルを飛び越えてデバイスを体内化することが一般的となっていて、人々は常時ネット接続し、普段の生活にタグ(ミライカメラってあったなあ)や食べログ的な星付け評価や企業によるクーポン広告がレイヤーとして重なる世界を生きている。
情報の流れるボリュームが完全にある閾値を超えていて、監視カメラや人々がその視覚や聴覚で体験した情報がデータ化され、「アーカイヴ」という仮想世界としてほぼ現実と変わらないクオリティで追体験できるまでになっている。
一方でそこはスキャンダラスなニュースが次々とバズっては人々のプライバシーを晒しあげ、そしてすぐに消費され尽くしてしまうディストピアでもある。

物語の中心地であるピッツバーグは、イスラム原理主義者の核爆弾によって10年前に消失し「アーカイヴ」にのみ存在する街となっていて、主人公ドミニクも妻をそこで失っている。
ドミニクは昼間、生命保険会社の依頼によりアーカイブで保険に関する事項――つまり生命保険の対象者の最期について――を調査する職務にあたり、仕事が終わると「アーカイヴ」に残る妻の思い出に浸るという退廃した生活を送っている。彼は常に死を見つめ続けながら生きているのだ。

アドウェアによる超拡張現実やアーカイヴはまさにいま近い未来に来ようとしているものという感触があるし、仕立てはその通りSFなのだが、この物語の肝は物語のノワールとしての出来の良さにある。
過去に囚われ私生活の崩壊した「探偵」が隠蔽された醜悪な巨悪を暴くという筋立て、グロテスクな暴力とポルノ、美女とドラッグ、煌びやかな夢追い人たち、その成功と破滅、多くのものを失いながらも一矢報い、だがハッピーエンドには程遠い結末。
帯には「電脳の幻想と現実の迷宮」とあるが、彼が迷い込んでいくのは幻惑的な現実と虚構の入り混じる世界ではなく、鮮やかなままに記録された過去が、それゆえに現実の醜い虚無と罪を際立たせるような、リアリスティックな喪失の世界である。
著者の筆力により(訳のよさもあるだろう)、陰鬱で退廃的な世界の空気が強く引き立っている。

また物語の随所で、ドミニクの亡くなった妻テレサへの喪われた愛の深さが、まるで彼の嗚咽が聞こえそうなほど切々と感じられる。愛するパートナーのいる、あるいはいた人間であれば胸を締め付けられずにはいられないだろう(著者には妻と娘がいるとのことで、「もしも」とドミニクの境遇を自らと妻子に重ねながら本書を執筆したことは間違いない)。

ドミニクが終盤ようやく辿り着き、共に逃避行を歩むことになるアルビオンも知的な魅力に溢れている。美しく純粋で魅力的な彼女と、彼女に受け入れられつつありながらも最後まで手を出さずに終わってしまうドミニクの切ない距離感にずっと浸っていたいという気持ちにさせられるが、逃避行はやがて終わり、ドミニクとアルビオンは物語の黒幕と刺し違えるように過去を捨て去ることを余儀なくされる。
主人公は十全な身体と「ドミニク」という人生、そして妻の幻影を、
アルビオンは平穏な生活とその下に隠されていた自らの罪を。
『明日と明日」というタイトルは、彼ら二人に与えられたものなのだろう。その罪と喪失は消え去ることなく残っているが、呪いのように彼らを縛り付けていた過去は引きちぎられるように奪われ、結果として、彼らは少しだけ未来のことを考えられるようになる。

最後のティモシーの心変わりだけは何か腑に落ちない感じがあったが、それでもあのノワール独特の、大きな喪失とわずかながらに残された希望という読後感が残る、よい物語だった。