マイベストトラック100をみんなも作ろう。

みなさんは「マイベストトラック100」というプレイリストを作ったことはあるだろうか。どこかのブログで読んで以来、マイベストトラック100リストをときどき作るようにしているのだが、これは非常によいものである。
俺は常々スマートプレイリストの素晴らしさをそのオートマティズム、効率性と連動性、そして思いがけない出会いという観点から説いているが、このマイベスト100については時間を贅沢に浪費してみずから手がけるのがオススメである。「情報処理を効率よくおこなう技術というものは、ぜいたくにテマとヒマをついやして、思想をうみだすことにささげられる場合にのみ意味をもつ」(花村太郎)。

環境

ぜひ座り慣れたソファや椅子に腰を落ち着け、コーヒーの湯気でもくゆらせながら取り組んでみてほしい。たとえば仕事から解放された土曜日の早朝、自分しかまだ目覚めていないような清潔な時間はベストだろう。
モバイルとデスクトップ、あるいはリスニングルームまで複数リスニング環境のある人は、もっとも心落ち着く場所で行おう。クオリティの高い聴取ができる環境が望ましいが、あなたのリスニングルームが特別な感情を呼び起こす──たとえば背筋が伸びるとか──場所であるなら、必ずしもプレイリスト作成にベストでない場合もある。とはいえ、音楽とはそこでのみ向き合うことと決めている流儀の方にはその限りでもないだろう。

マイベストトラック100とは何か

マイベストトラック100を選ぶということは、自分の人生の「音楽」という断面を覗き込む作業である。好きで好きでたまらない楽曲たち、人生のシーズンや出来事と紐付いた歌たちから悩みぬいてベストを選ぶ行程は、あなたがあなたの音楽に向き合う機会となる。
これはベスト1やベスト10を選定する作業の延長上にある。ただ100曲を選ぶのではなく、その順位に厳密にでなければならない。これが45位でこちらが46位で本当によいのか。理由を言葉で説明するのは難しいが、しかしその順位には意味がある。この問いを厄介払いせず向き合ってみて欲しい。
単純に再生回数が多い順に並べてしまうのは最初の一歩だが、それだけでリストは完成しない。再生回数は履歴に過ぎず、いま我々が見つめようとしているのは今の私だからである。
一つの方法としては、100位からカウントダウンしていき、次の曲に移った瞬間に「ときめき」を感じなければ順位を入れ替えるというものがある。ただ、これも現実に適用してみるとなかなか単純にうまくはいかない。最初にサビを当ててくる曲と静かに立ち上がり後半盛り上がる曲を平等に評価できるかという問題があるからだ。
何が正解なのかいまだに俺もわからないが、しかしそれでも妥協すべきではない。

なぜ100なのか

単なるリストの拡大にとどまらず、100まで増えてくるとそこに傾向や分布があらわれる。
意外にも自分はメロウな曲が好きだったんだなとか、思い出補正のかかっていたアーティストが案外そうでもなかったなとか、自分の写し身として何らかの意味を見出すには最低100は必要だ。
とはいえ、例えば所持曲数がまだ200しかないという若い聴き手が100を選んでもあまり意味はない。目安としては、所持曲全体の1%前後でキリがよい数を選ぶとよいだろう。全体で200曲ならベスト5、3500曲ならベスト30、8000曲を超えたあたりでベスト100というくらいがちょうどよい。
逆に所持曲数がすでに2万、あるいは10万あるといった場合だが、それでもベスト100に留めておくのがよい。人間がある程度注意力を保ちながら把握できるのはその程度が限度である。

定期更新のすすめ

定期的に更新していくことで、自分の音楽的趣味がどういうもので、それがどう変わってきているのか、視聴環境はどう変わったか、音楽シーンと自分がどういう付き合い方をしてきたかが浮かび上がってくる。
前回作成してから時間を経て見直したとき、リストが変わらないことはほとんどない。新しい音楽は増え続けているし、視聴環境は変わっているだろうし、音楽とは無関係に見える私たちを取り巻く生活自体が変化しているからだ。なにより私たち自身がその期間だけ大人になり、老いている。精神的成熟も趣味嗜好に大きく影響するし、肉体的にアニメ声や電子音が辛くなったり、そもそも聞こえない音域が増えてくる。
リストが移り変わってゆくことを歓迎しよう。あなたが新しい音楽に出会い続け、財産や経験を積み上げ、生活を運営し続け、大人になってきたことがその変化に表れているのだから。

音楽を理解できるようになった?

長い時間を費やし、音楽への理解を深めてきたことが自分の音楽的嗜好に表れたのだという考え方がある。確かにクラシックやジャズ、そして現代音楽といった、楽しめるようになるまで時間のかかる音楽ジャンルは存在する。いつの間にかクラシックが苦痛でなくなっていたとき、あるいは視聴環境をグレードアップして急にジャズを聴くのが楽しくなったとき、自分のセンスが成長したように感じる。その喜びは素直に受け取ってよい。
だが、理解が難しい・時間がかかる音楽であることと、その音楽の価値とは無関係である(ここに反発する人は、端的に言って認知バイアスに陥っている。「苦労したならよりよい果実が得られるはずだ」と考えるのは、ただの願望である)。
ましてや、あなたがそれを好きかどうかとは全くもって何の関連性もない。

「ひとのことなど知りもしないわ」

世間での評価も同様である。誰が名曲と呼んでいようが、あなたの審美眼にかなう音楽でなければ気に留める必要はない。
その曲にまとわりついてしまった誰かの物語を何もかも無視することは容易ではないし、おそらく曲自体だけを純粋に見つめることは不可能だ。不可能だが、それでも試みてみよう。あなたにとってその曲とは。その曲のアーティストも含めた第三者のことを何もかも放り投げて、ただその曲とあなたと、その間にある愛の有り様とを見つめてみよう。

誰かのマイベストトラック100を見るときに

当初から「オールタイムベスト of 俺」という性格を持つものなので、他人にとっては驚くほど意味がない(笑)
が、それでも何かの足しにはなるかもしれないし、どちらかといえば本人のモチベーションのためにリストを公開することはありだろう。そこには何の問題もない。
一方で公開された誰かのリストを見るときに注意したいのは、「この曲を入れるならこっちだろ」とか「センスが悪い」といった論評をしないようにするということだ。マナーの問題でもあるが、それ以前にこれらはリストの主旨を理解していない発言であり、まあ、恥ずかしい。聞いてもいないのに、また自分の無知・無理解を自覚しないままに賢しらな発言をしてしまうのは、若気の過ちというものである。