先日の記事へのはてブコメントへの返答をメモがてら書いておく。
先日の記事 にありがたくもはてブの方でコメントを数多くいただき、拝見する中で書いておきたいことが出てきたので少し書く。
新井紀子氏は信頼に値する書き手なのか?(多数意見)
書き手の評価はテクストの付随物でしかない。
「誰々が書いたものだから読まない」は何にあなたの時間を投下するかという資源配分の問題なので自由に決めることだし、他者にその資源配分方針をオススメするのも自由だ。
だが、テクストの内容について「誰々が書いたものだから信用しない、信じない」は、偏見であろう。
本書の内容は内容そのものに即して評価されるべきだ。
で、新井氏の評価自体は俺もちょっと保留したいところがある。
意味の読解はAIには無理、って言い切っちゃうのはどうかなあ……。「意味」を神秘化しすぎてるような。
新井紀子の研究とPISAの読解力調査は同じものではないので持ち出さない方が良い
「いい加減に読解力の無い馬鹿がPISA調査を引用するのはやめてください。お願いします。あなた達こそが学校教育に混乱をもたらしているのです。自覚してください。 http://bit.ly/35RsCSu
リンク先拝読してかなり勉強にはなった。
ただ、なぜそういう要請になるのか分からない。
「読解力が無い馬鹿」というのはどの部分を読んでそう判断したのだろうか。どこをどう誤読していると評価したのか、明記がないので分からない。
また、示されたリンク先で、2015→2018の読解力低下について、拙稿と関係ある内容として読み取れるのは次の部分である。
- 結果の表(得点から日本の結果の表と判断する)
- 日本の読解力の成績は2015→2018で有意に低下(矢印↓)
- 「※PISA2015・2018の読解力低下について取り急ぎメモ」
- 「・その他テスト設計の変更のせい→可能性はある。現時点では不明。」
- 「新井紀子の研究はPISAの読解力調査と同じものではないし経年比較調査でもないので持ち出さない方が良い。議論が混乱する。」
一方、拙稿では次のように述べたところである。
- それ(これ(著しく読解力が低い層が多数存在する事態)って、いつからこうだったのだろうか)は本書では示されない
- 注目すべきはやはり「読解力の(2015→2018での)有意な低下」(文部科学省・国立教育政策研究所)である 。
- RSTとPISAで測定されている「読解力」が、厳密には異なるものであることには念のため留意しておきたい。
- とはいえ、メッセージを理解し、それに対して適切に応答できるかどうか、という基本線は共通していると考えてよい
- 新井によれば、読解力を養うのに有効な方法を解明した科学的研究は今のところない。
- ただし、RSTで唯一分かったことがある。
- 貧困率と読解力には強い負の相関があるということだった。
以上である。
拙稿はリンク先の内容とも大きく矛盾しないし、貧困対策以外のなんらの対処法を推奨するものでないが、それがどのように学校教育に混乱をもたらしうるのだろうか?
確かに俺は新井紀子の研究とPISAの読解力調査とを合わせて持ち出したが、上の通り「厳密には異なるものである」と明記している。拙稿を読んだ上で、その差異を検討せずごっちゃにして根拠のない対策を称揚する者がいたとして、それはまずもって読解力のない当人のせいじゃねえかな。
それとも日本人の読解力低すぎワロタという記事を書いときながら読者の読解力が低いことを想定しないのはダメでしょということだろうか。よく分からん。
ぜひ読解力の無い馬鹿にも分かるように詳説いただきたいところである。
なんで例示されてるのAlexの問題ばっかなん?
他にも例題あるけど図やグラフ絡みの問題だったりして、平文だけで表現できてかつ分かりやすいのがこれなんだよね。他に言及してる方も同じ理由で選んでるんじゃねーかな。
Alexの問題は悪文でしょ。
調査したい能力と設問が一致していない、とか、答えが複数ありうる、なら問題だろうが、単に読みにくいことそのものは非難されるべき点ではない。
問題設定次第で結果変わりそうじゃない?
テストだからそらそうやな。
回答する方が真剣にやってないのでは?
おふざけ回答はスクリーニングしているとのこと。(新井談)
なんでAIと競わにゃならんの?
“「世界を変革する力(Competencies to transform our society and shape our future)」である。”/それを身につけなければ生きていけない世界は、何か根本的におかしくはないか。/それは努力すれば誰もが身に付けられるものなのか。
「読解力や常識力の要求水準が低い仕事はAIがどんどん代替するから、人間はAIの進歩に負けないように柔軟な判断力を鍛えてください」ってのは、「蒸気機関に負けないように筋肉を鍛えて」みたいな話だと思うんだ…。
この疑念を抱く感覚はまったく正しい。
これについてはまた書きたい。