大いなるもの、ではなく。――映画『オデッセイ』
Songs from the Martian
Original Soundtrack
映画『オデッセイ』(リドリー・スコット監督 マット・デイモン主演)
『オデッセイ』(原作『火星の人』)をようやく観た。
傑作とまではいかないが、あの原作を映像化すると考えると、これ以上の出来にするのはかなり難しいのではないか。そういってよいくらいの良作だった。原作ファンであれば視聴をおすすめする。が、
映画もちゃんと面白かったです。
でも「オデッセイ面白かった!」って感想を見かけると「原作はもっと面白いよ!」って言いたくなる。それくらい原作がつきぬけてる作品です。
上のリンク先で言われているとおりで、やはり原作のほうが面白い。
原作の魅力は以前こちらに書いたとおり。
原作の魅力である地道なトライ&エラー(まさに科学そのもの)やその幕間の最高にくだらないユーモアの積み重ねは、ボリューム的制約のある映画ではどうしても表現しづらかったのだろう。
注文をつけるなら、もっとソル100〜150くらいのハブでの生活をテンポアップし、エリートたる宇宙飛行士としての精神的タフネスの上に成り立つハイテンションと、失敗に対して「もう終わりだ……」と落ち込んで寝る様との躁鬱の繰り返しを見せればよかったのではと思う。マーク・ワトニーの凄さは、その切替の早さ、一時的に失敗してもそれを論理的に分析し、着実に糧にして前進していくところにある。
さらに言えば、原作ではマークの失敗の多くは、自らの不注意であったり、難しいが予測不可能ではないことを見落としていたことに原因があると描かれている。火星の過酷な環境はいたるところでマークに死の可能性を突きつけるが、そこに理不尽はない(どうしようもない猛威として火星の自然が現れるのは、冒頭の嵐のみだ)。
”その圧倒的な力の前にひとが立ち尽くし祈るしかないものとしての自然”は物語の定番のテーマだが、今作で描かれる火星はむしろ、巨大な実験場のように現れる。善意も悪意もない究極の自己責任を突きつける場所として火星があり、だからこそマーク自身の試行錯誤がダイレクトに結果として反映される。そこで助けてくれるものは自然環境ではなく、我ら人類が残したマーズ・パスファインダーであり、アレス4用のMAVである。
せっかくのジャガイモを絶滅させてしまうエアロックの爆発事故のシーンであったり、マーズ・パスファインダーを利用することを思いつくシーンはもう少し印象深く描けたのではないか。出来が悪くないだけに、もったいなく思えてしまう。
逆によかったのは冒頭での治療シーンか。原作でさらっと流されていたが、パニックになりそうな状況でヒィヒィ言いながらも適切な対応を行うマークの有能さをよく描けていた。
ていうかなんで「見て見て! おっぱい!->(.Y.)」を省いたんや!!
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