シン・ゴジラすごくて確かにこれは語りたくなる映画だなと思ったし俺も語りたい。

映画『シン・ゴジラ』公式サイト

すげー良かった。上映期間中に少なくとももう一度、劇場に足を運ぶだろう。
以下ネタバレ箇所あり。観てない人はホントに事前情報一切なしで観たほうがいい。

多く語られているように非常に尖った映画であり、観た後に語り出すひとが続出するのもわかる。数多くの優れた点があり、また一方で人によってはアラも見えるという感想もあるようだ(個人的には長所がぶち抜けていて欠点にあまり目がいかなかったが)。
素晴らしい評がさまざまな角度から提供されていて、そういう意味でも楽しみ方に事欠かない映画である。俺ももっと語りたい。卓越した視点の鋭さや表現力をもつ批評を読むたびに嬉しくも歯がゆく感じる。みんなすげえよ。

シン・ゴジラの感想書きたい(ネタバレ)

「あれ?このゴジラ咆哮しないの?」「ブレスは?放射能吐かないの?優しいゴジラ?」と不安になる中盤。
満を持しての、咆哮&ブレス。
最初炎が出て、威力が強まると放射能に変わり、東京を一瞬で壊滅させるだけの威力を魅せつけた後に、再び炎に変わり止まる。という一連の動作がカッコよくて死ぬ。
やっぱ、B-2最強だな。ホルホル。としていた自分をあっという間に絶望の淵に叩き落とす破壊力。
まさに神。

このカタルシスを味わうだけでも十分な映画である。
都内を破壊してまわる巨大生物、万全を期すためではあるがなかなか先に進めない政府対応、頭部と脚部へのとんでもないピンポイント集中砲撃をはじめ練度は抜群なのだが打撃力に欠ける自衛隊、口惜しいが頼らざるを得ない米軍B2爆撃機のバンカーバスターの貫通力すげえ、やれんじゃね? からのブレス&庵野プロトンビーム。
炎上壊滅する千代田区と中央区。うわーこれ日本終了やんけ……とマジで思った。

シン・ゴジラ:感想(約1万5000字:未鑑賞者の閲覧を禁ず) – 六月の開発局

端的に申し上げれば、巨大不明生物災害のような緊急事態においては「縦割り」と「統合」の両側面、つまり矛盾する二つの対応を両立させることが対応においては重要でありその矛盾を極限するのが情報共有、ということであり、それを見事に描いているのがシン・ゴジラなのだ。

(……)

例えば外務大臣が「日米安保を適用して駆除をお願いする」というと花森防衛大臣が「自衛隊で始末すべき」といい、内閣危機管理監が「民間人を撃ってしまうかもしれない」と言うように、一見無秩序で統制がとれていないようにみえる行動をとる。

しかし、最高責任者として状況を多角的に把握するために、部下はやはり個性があって、違う視点を持っていることが望ましい。(……)
また、指示を乞う時も、曖昧な言い方をしない。「総理、ここは苦しいところですが、総理のご判断をお願いします」「人口密集地ですがやむを得ません。ミサイルの使用を許可しましょう」「撃ちますか!?いいですか!?」「総理には守らなければならない国と国民があります」情勢をわかりやすく言い、はっきりと懸念材料を伝え、すぐに欲しい回答であることを示し、忘れられているであろうことを端的に指摘する様を描くことで、彼らがかけがえのない存在であることを示す。

綿密に構築された脚本の細部に、明確な演出計画があり、それを見事に実行する役者の演技があるから、後の「内閣総辞職熱線」の痛みが観客に伝わる。

ここまで目にした中で最も優れた批評がこれ。
シン・ゴジラの感想として、序盤の政府対応を「ドタバタ劇」と評する人もいるようだが、現状把握のできていない状況の中で態勢を確立しルールの中で可能な対応を判断していこうとする閣僚や官僚たちのスピード感はすさまじい。
また、異変の原因が巨大生物ではないかと矢口が進言したが諌められ、だが結果はそれが正解だったというくだりを、想定外の事態に対する脆さという批判と読むのも誤りだろう。あの時点では、異変の正体がゴジラであるというのは一般市民の撮影した画像や映像しか証拠がなく、タチの悪いイタズラであるかもしれないと考えるほうが自然である。
スピーディな意思決定のための可能性の刈り込み(「ここは消去法でいきましょう」)を試み、たまたまそれが覆されたからといって、その手法自体が間違いであるとするのは飛躍だ。可能性が高い方に賭けることは絶対に間違いないということではない。矢口たちが乾坤一擲と実行するヤシオリ作戦自体、熱核爆弾による最終回答を避けるためにその時点で最も分の良い賭けに出ただけである。

『シン・ゴジラ』は一番作っちゃいけない作品だったのでは – Togetterまとめ
いやあでもあの状況で一般市民はどうしようもないでしょう。問題解決の困難さの物語なんだから、エリートかスペシャリスト以外に見せ場がないのはしゃーない。そこを無理に”ただの人”にどうにかさせてしまうとご都合主義かセカイ系になってしまう。
かといって避難区域で要介護の両親を背負って避難する派遣社員43歳が政府に正義の問いを叫んだり、瓦礫の下でブラジル人移民と在日二世のホモカップルが互いに声を掛け合う恋愛カットが入ったほうがより正解だったかというとそうも思わん。

作品のためならポリティカル・コレクトネスを無視して構わんとまでは言わないが、「今回は描かない」くらいの自由さは許してもよいのではないだろうか。単体の作品内にすべての正しさを詰め込めというのは過剰な要求だと思う。
「男性的な女性しかいねー」という指摘も、エリート・スペシャリスト(武官含む)的であることを"男性的である"と杉田さん自身が先に読み込んでしまっているので、論点先取だろう。

大衆のディテールについては自宅で避難準備中にマンションごと叩き潰される親子のカットを見てああ作中でこれ以上は描くつもりないんだろうなと感じたし、その通りになった。個人的には過剰に問題解決役以外の個人がクローズアップされないことで逆に感情移入出来たように思う。これはたまたま自分がいま関東在住であるおかげもあると思うが、東京駅周辺が火の海になったとき他人事と思えず、戦慄した。

シンゴジラが58点な感性にウケる大味なエンタメ – あざなえるなわのごとし

つまり以上のような「58点と感じる人の感性にウケるゴジラ」を考えると

・登場人物の家族など人間性を描く
・感情的に叫ぶ主人公、憤り、汗をかく
・ともかく感情移入
・逃げ惑う民衆をもっと描け
・ゴジラの最後にはカタルシスのある派手な作戦
・ご都合主義と感じさせないようピンチに陥るシーンを挟む

だからこういう感性を持つひとに「BRAVE HEARTS 海猿」みたいなコテコテで暑苦しいエンタメ映画がウケるのがよくわかる。

いやあ「58点と感じる人の感性にウケるゴジラ」でなくて本当によかった。さすが庵野と言わざるをえない。

大田区生まれのオレが写真でたどる『シン・ゴジラ』第一次上陸ルート(タバ作戦もあるよ) : 超音速備忘録

今回の映画の興味深いところに「リアルである」ということへの賛辞が挙げられます。
リアルとリアリティを区別して考えるならば、やはりゴジラは「本当らしさ」をどう追求するか、という意味で「リアリティ」が高い。
つまり、呑川という生活河川を舞台にする意味、蒲田というところを上陸地点にする意味、池上通りの空撮をする意味。そして八ツ山橋を最初の自衛隊との接触位置にする意味。
それらは臨場感を付与するとともに、ドラマをつくり上げるためのチョイスであり、徹底的な「リアル」とはまた違うのだなぁ、と。
(……)
シン・ゴジラの素晴らしいところは(とくに東京の人にとっては、なのかもしれませんが)、庵野秀明や樋口真嗣といった才能、しかもオタク的なディテールに異常なこだわりを持った人々が特定の場所、交通機関、武器、建物を果てしなくフェティッシュに描くことで逆説的に現実の景色を描き替えてしまったことだと思います。
当然いままでのゴジラシリーズでも日本各地の都市(のようなもの)が破壊されてきたわけですが、今回は「いま、ここ」が壊される可能性を「いま、ここにあるもの」を執拗に描きまくることで我々に示してみせた。

そうなんだよ、「民衆が描かれない」だなんてどこを見てたんだと。
そうじゃねえんだよ。ことごとく緻密にリアリティを積み上げられた本作は現地に多少なりとも馴染みのある人間にとってある意味VRであって、民衆ってのは誰かつったら観て体験してる俺なんだよ。俺が出張で使ってる東京駅がいま目の前で崩壊してんだよ。やべえよ。頼むからうちのほうにだけは行かないでくれよ。

俺の知ってる街が目の前でゴジラに壊滅させられて何ができるかって何もできねえよ、固唾を呑んでその任を担ってる人らにがんばれ、頼む、なんとかしてくれ、それが税金食ってるおめーらの仕事だろって祈ったり託したり責任取らせたりするしかねえんだよ。

だから俺ら一般市民の仕事はこの後、事態が沈静したあと政府の対応がどうだったか、誰が褒め称えられ誰に責任を取らせるべきなのか、今後どうするのか、誰に委ねるのかそれとも自分でやるのかどーするのか考えることだよ。

#細かすぎて伝わらないシン・ゴジラの好きなところ選手権 #シン・ゴジラ【ネタバレ注意】 – Togetterまとめ

「あ゛あ゛ぁ゛っ゛!?こんなのってアリかよぉぉ!」(ダイニングチェアで回転しながら)

映画一本でこれだけ出てくるかってくらい各キャラクターの細かいひとつひとつの言動に大量の情報やケレン味や小気味よさや暗喩が詰め込まれてて2時間まったくダレずに観られたんだよなあ。