静かにして。

静かにして。

こんなに静かな時間をたっぷりと取ったのは久しぶりだったかもしれない。2021/22年の年末年始。福岡で一人暮らししていた頃をなんとなく思い出した。テレビが置かれていなかったあの部屋、俺は一人きりで、聴くのは自分が選んだ音楽だけで、他には何も音を出すものがなかった。

最近はだいぶそこから離れて、SpotifyやYouTubeが耳を埋めるままにしてしまっていた。娘が起きている間、耳寂しくないようにとBGM代わりにテレビを付けて、そしてときどき娘との距離を手抜きにならない程度に保ちながら、スマホの画面を見る時間を稼ぎ出そうとしている自分がいる。妻もたぶん同じような心持ちでいる。

もう長いことブログなどの文章を書くことができなくて、それは頭が何か意味のある音で埋められて、考える余白がなかったことも1つの原因なのだろう。俺が文章をひねり出していたとき、思えばいつもそこには余白があった。余白の持つ負の圧力が、愚にもつかない思考の絡み合った塊から意味のありそうな何かを抽出して文字にする。次に何をしようかと考えていては、タスクで体が埋められている間は、俺は何も書けないのだ。なんとなく分かった。意味のある時間にしよう、次に繋がる意義深い命の消費をしようと思うと、もう何も浮かばなくなる。もう少し眠っていてくれと思いながら、子どもが起きてくるのを待つこの時間は、何か有意義なものにしてくれといつも俺を急き立てるけれど、久しぶりに一人になったり生活のほとんどを妻の実家の世話になったりして、ようやく文章が少し書けるようになった。

人生はきっと短いし、後から見返せば輝くような日々であろうこの毎日さえも、追いつけないほど速く過ぎ去ってゆく。俺はもう少しゆっくり歩きたいのだけれど、俺と世界の関係は今、この速度の中にしかない。