結局俺たちはまだあの場所にいる気がする。(『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』ネタバレ感想)

以下ネタバレあり。
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都合3回くらい劇中に涙ぐんでしまったので確実に感動したし、驚くほど綺麗な形で終わったので映画としてはよかったのだが、ところどころうまく咀嚼できないというか、自分の中のエヴァがこれで終わって良いのかと聞かれると考え込んでしまう、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』はそんな作品だった。

シンジ君の「なんでみんなこんなに優しいんだ……」は作中ベストアクトであり、本当に緒方恵美さんは素晴らしい演技をされるなあとしみじみ思ったし泣いた。この台詞だけでも元が取れる。そうだ。俺はシンちゃんがみんなに優しくしてもらうことを願っていたのだ。それができていれば最初からこんな面倒な話にもなっていなかったはずなのである。少なくとも4thインパクトのやらかしは大部分ヴィレ勢のせいである。旧劇時代からずっと思っているが年齢相応に生きているだけのこんな素直な子がなぜこんな目に遭わねばならんのだ。大人がちゃんと大人の仕事をしないからこんな不幸を子どもたちが抱えねばならんのだ。

Qで視聴者全員が合唱したであろう「説明しろよ」だが今作でもヴィレ勢は相変わらず説明しない。今なにがどーなってるのか分からないなりに説明してくれたのはトウジとケンスケである。大人になることなんかより友達を作る方がよほど大事である。ヴィレ勢でかろうじてアスカだけは殴りかかった理由を答え合わせしてくれるが先に「なんでか分かった?」って聞くのパワハラみある。ミサトの説明しなさの理由もかなり取ってつけた感があった。というかシンジへの態度がゲンドウと同じなのである。あーた間近でそれじゃダメなの見てたやろ。学べよ。
ミサトさんが最後の最後にいつもの髪型でバイザー越しでない視線を真っ直ぐ観客に向けてくれたところには理屈抜きにジンと来たが、俺はシンジとミサトの、旧劇の大人のキスのくだりのような魂をぶつけるようなやりとりが、あるいは「5番射出急いで!」のような信頼と心配が渾然一体となったようなチームワークがもう一度見たかった。
そしてミサトを死なせる必要はなかったよなあ。

その前の艦上での火サスみたいな立ち位置でのやりとりは、ちょっとベタすぎるというかもうちょっとなんとかならんかったのかと思った。とにかく撒いた種を形だけでも回収するので精一杯だったのだろうか。

最終決戦における親子の「対話」で演出なんだろうけどチープなCG戦闘が始まった時はあわや「まさか今回はここで力尽きたのでは……」とちょっと焦った。特撮の撮影現場のオマージュであることはその後すぐに分かったが、にしてもチープなので早く場面変わらねーかなと一時冷めてしまった。

その落差もあってかラストのアスカが艶かしすぎて逆に細部を思い出せない。すごいインパクトだった。旧劇のアスカとの差分を照合するのに必至で脳がフリーズ寸前だったのだが、あれはアスカの呪縛が解けて大人になれた=28歳相当の肉体になったという演出だったのか。そこまで性的な描写としてはチラリ程度かつさらっとした線での描写しかなかったところに、いきなり違和感さえあるほどタッチが異なる上にエロティックさが前面に出されていて驚いた。触発されてものすごい数の二次創作イラストが試みられそして本家のクオリティを前に挫折されそうだなと思った。

どう考えてもあのシーンは旧劇ラストの再演なのだが、潔癖症で性に対してアンビバレントな態度しか取れなかった旧劇のアスカとどうにも上手く接続できない。台詞は惣流の口癖だった「バカシンジ」なのに。同じ久々に会った同級生としてトウジ、ケンスケ、ヒカリの3人はそれほど違和感なく「なるほど時間がそうさせたんだな」と飲み込めるのだが。

アスカがケンスケルートに行ったのも意外だった。意外だったというか開始早々に第三村でのケンケン呼びやらなんやらでいきなり奇襲されて脳が対応できないうちに終劇まで押し切られて感情が追いつかなかったのだが今思い出して本当にこれは大変なことになったなとあとから実感が湧いてきた。大変なことだこれは。よく考えなくても俺はシンジ×アスカ派だったのだ。旧劇の波打ち際で魂が囚われたままになっている数百万人の現生人類の大多数はそうであるはずだ。観客の誰も知らない14年間の空白が強制挿入された上にお互い大人になったよねみたいなノリで切断されてしまうと俺たちの魂にはもう行き場がないのである。

だいたいなんでマリなんだ。綾波ならまだ分かる。破まではあー今度はそっちルートかとみんな思ったのではないか。満足はできんが納得はできる。しかしマリだともうどう反応していいか分からん。貞本エヴァから設定を密輸入しているっぽいが旧劇勢も新劇勢もなぜシンジとマリがカップリングされるのか分からんのではないか。貞本エヴァ読んでても厳しいぞ。

長い間坂本真綾ファンである者として、新キャラに真綾が当てられたときにはとても喜んだ記憶があるのだが、最後まで結局、製作者側すらマリの扱いに難しさを抱えていたように思える。トンチキな台詞回しは異物感をそちらに逃がすためのものだったのではと思うが、残念ながら彼女は最後まで作品世界の異物に留まってしまったように感じる。

アスカがレイと同じく培養槽で量産されたチルドレンでシンジに好意を抱くように予め設定されている、という新設定も、アスカルートを排除するための後付設定にしか感じられない。いやケンケンは悪くないよ。いい男になったよケンケンは。

アスカの話に戻るが、シンジ君が大人になるのは今回短い尺ながらもある程度丁寧に描かれるのだが、アスカはもう14年経ってしまっていて我々が知らない間に精神だけ大人になってしまっている(でもないような気もするが)ので、旧劇のアスカが救われた(または救われる可能性がある)のか我々には分からずじまいになってしまった。

というか冷静に考えるとシンジ君についても今度はちゃんと彼が立ち直るまで庵野が待ってあげられたんだねっていうだけの気もしてきた。旧劇のシンジ君も戦自のネルフ本部占拠があまりに急すぎたせいでああなってしまっただけで、友人たちの見守る中で、心の傷を受け止められるようになるだけの癒やしの時間さえ与えられればもう少し違う道筋を選べたように思うし、逆説的に旧劇シンジも結局救われていないのでは……。我々が観ているシンジもアスカもどこまで行っても新劇の彼らであって、観る者によっては、少なくとも俺の中では、旧劇で自意識の茨に絡め取られた彼らはまだあの赤い波打ち際にいるような気がする。人生なんてそんなものと言えばそうなのだろうが、ほんの少しの巡り合わせの違いでやっぱり彼らはあの浜辺に戻ってしまう。そんな多宇宙的な無情さを貫くような力強い答えが今作で何か示されたのかと言うと、俺には分からなかった。今作でA.T.フィールドが軋りあうほど近づいたのはシンジとゲンドウだけで、他の人間関係は全て心の壁がぶつかり合わない距離感を適度に保っていただけのような気もする。それが大人になることだと言われればそうなんだが。

ゲンドウは変わってなかった。あいついつも同じとこで詰まってんな。ちょっとだけ素直になれたけど。子どものためと思って……という部分では泣いてしまった。自分が親になってからというもの、子ども絡みの話に対し驚くほど涙腺がゆるくなっている。

しかし電車を降りる描写は弱すぎるだろう。あそこはシンジが一発殴ってやるのが正解だった。やれシンジ、拳という名の肉体言語でコミュニケートしろ。今のお前ならやれたはずだ。加持を信じろ。

あと音楽は全体的に何かチグハグな感じがして、旧劇の神がかった曲の使い方とは雲泥に感じた。エヴァの代名詞とも言えるdecisive battleも流れた時には興奮したのに肩透かしだったし、JOY TO THE WORLDにもコレジャナイ感があった。何が悪かったのだろうか。

微妙な点で言うと上でも述べたゲンドウとの最終戦だけでなく、Qからそうなのだが戦闘シーンの映像的快楽がもう全然感じられなかった。敵に魅力がないからなのか手書きでないCGだからなのかごちゃごちゃしすぎの画面構成が悪いのか分からん(全部かもしれん)が、とにかく戦闘がつまらない。いつ観ても何度観ても最高に興奮するAirと同じ監督の手によるものとは思えない。序・破にはそれなりに見所あったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

とりあえず一度目の感想はこんなところでした。衝撃が過ぎて色々見逃しや思い違いがありそう(他の人の感想で見たがシンちゃんが吐いたのを見て以降アスカはDSSチョーカーをスカーフで隠してたらしい。こんな重要な演出すら見逃していた)なので、早いとこもう一度観たい。