2016.01.16。

どうして左派にとって難民は「聖人」でなくてはいけないのだろう?彼らは「聖人」でも「悪魔」でもない。正邪入り混じった普通の人間だ。

善意を仇で返されたとき、「善」を為すという選択自体が間違っていたのか、という問いが生まれる。左派がケルンの集団性的暴行について語らないのは、彼らが理想と現実の痛みの間でジレンマに陥っているからだ。

これは左派の限界ではなく、理想を追い求める上で必然的に立ち現れるショックである。「良きこと」を私たちが行おうとするとき、それがもたらすコストやリスクが許容範囲内のものであれば、その「良きこと」はさほど大きな反応をもたらさず、"既に現実である"ものとなる。ある志向性が理想の位置に留められるのは、許容しがたいコストやリスクがその途に見込まれるからこそ。理想は痛みと傷を伴うがゆえにそうなのである。

しかし同時に、不利益と危険を抱えながらそこにあり続けるのもまた理想の姿なのだ。他の誰でもなく、私たち人間の精神は理想に気付いてしまう。極右の言うように難民たちを拒絶しても、今度は我々が自らの理想に負わせた傷の痛みが、また私たちを苛むだろう。

結局のところ我々は、理想を求める梯子を登りながら、手に刺さる棘を虱潰しに取り除いていくしかない。

中国との敵対状態から対中融和による交流拡大へと大きくかじを切った馬政権は経済を中心に交流を進め、中台関係の改善が台湾に経済的にも利益を生むと訴えてきた。だが、交流の恩恵は富裕層に偏り、貧富の格差は拡大。庶民は物価上昇や住宅価格の高騰、就職難や低賃金で青息吐息だ。頼みの中国経済の減速が響き、今年はマイナス成長に転じるとの予測もある。

日本にとっては追い風になる見込みが高いと思うのだが、どうなるだろう。

I don’t know about the rest of you but I’ve grown exhausted with the horseshit, hater culture that online, millennial ‘journalists’ use to click-bait their way to some sort of self-perceived intellectual high ground. Hate first. Don’t bother asking questions later.
君らのことはしらないが、私はこのミレニアル世代の自称ジャーナリストどもがクリックベイトを駆使して知的に有意な立場を獲得したつもりでいるクソみたいなオンラインカルチャーが嫌いで仕方がない。まずは炎上優先。正確かどうかなんて疑問にも思ってないんだ。

頷けまくってヘドバンみたいになった。クソ袋がクソ記事しか生産できないのは仕方がない。摂理だ。俺もそんなクソ袋のひとつなのかもしれん。しかしだったらインターネットの隅っこにいるべきなのだ。注目はネットの貴重な資源であって、小銭を稼ぐ以外に何の意味もないクソ記事が消費していいものではない。