書評:『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』(吉川浩満)
理不尽な進化: 遺伝子と運のあいだ 吉川 浩満 朝日出版社 2014-10-25 |
絶滅という観点から見えてくる生物進化の理不尽さは、私たちになにを教えてくれるだろうか。それがこの本のテーマである。
(p7)
扱っている領域としては一般書と専門書の中間、一般的な読者に向けては「進化論」の面白さをその誤解されやすさと合わせて紹介し、その魅力と混乱の源泉が同じ所にある、ということを示そうというのが本書の意図である。
学問的領域への橋渡し役として、小気味良い文体の力もあり、読者を進化論の世界に強く誘う(注釈の代わりに添えられたブックガイドも、この狙いに則したものであろう)。
帯にあるとおり、本書の構成は下記の通りである。
軽い導入のあと(序章)、絶滅という観点から生物の歴史を彩る理不尽さを味わい(第一章)、そこで得られた眺望をもとに私たちが漠然と描いている通俗的な進化論のイメージの内実とその問題点を指摘し(第二章)、それにたいして本物の進化論がもつ意義と有効性を専門家同士の論争を通じて明らかにした上で(第三章)第二章で描いた素人の混乱と第三章で描いた専門家の紛糾の両者がともに私たちの歴史と自己認識をめぐる終わりのない問いかけに由来するものであると論じる(終章)
(p10)
俺もそうだったが、進化論に明るくない読者であれば、第二章までは多くの知的驚きをもって楽しめるだろう。地球上ではほぼすべて(99.9%)の生物種が絶滅しているという「気持ちいいほどの皆殺し」(p37)状態であること(そしてむしろそのような厳しい条件下のほうが進化には適した環境であること)、一般人口に膾炙しているイメージとは異なり、適者生存とは競争のルールが後出しされてくるような理不尽な条件下で「だれが適者か?(=生き残った者である)」を定義づけるトートロジーであること(それは自然淘汰のプロセスが完全にランダムに進行することと一体であること)、強く優れた者がその形質を受け継いで「進化」していくという「発展的進化論」は(これだけ一般に広まっているにも関わらず)人間の自然な感覚に基づく勘違いであり、学問の領域ではとうの昔に否定されていること、等々、進化論にまつわる我々のありがちな思い込みを次々に正してくれる。これは筆者の語り口の上手さや博覧強記ぶりにもよるものだろうが、それ以上に、筆者自身も強調するように、進化論という学問自体の面白さによるものである。
素人と専門家の間での進化論理解の乖離(というより、素人が進化論の用語を「言葉のお守り」として好き放題に使い散らかしていること)が第二章で示されたが、では専門家の世界では、まっとうな進化論が粛々と進められているのかというと、否、むしろそこでこそ激しい闘争が(筆者によれば現在進行形で)交わされているのだ、と述べるのが続く第三章である。
第三章では、本物の進化論が持つ意義と有効性が、グールドの適応主義批判(とそれに対するドーキンスらの見事な反論)を通じて示される(論争の内容は本書または関連書籍を参照いただきたい)。
終章では、グールドの固執の理由(グールドほどの者が、不利な戦いとわかっていて頑なに引かなかったのは何故か?)を探ることで、我々が学問に対してとるべき態度について思索されてゆく。「適応主義、そして社会生物学をめぐる論争があのように激しいものになったのは、それが歴史認識や政治や宗教といった「人間的、あまりに人間的」な領域へのコミットメントと切り離しがたいトピックであるからだ」(p410)。グールドが偶発性(これは適応主義プログラムのプロセスにおいてはなかったことにされてしまう)に固執したのは「どうしてこうなった/ほかでもありえた」という、人間的な、不条理に対する感覚によるものにすぎないが、しかしそうした理不尽に対する態度は私たちが知的世界へ入っていくアクセスポイントでもあると著者は述べる。
私たちが生物進化の過程に感じる理不尽さと、グールドのような専門家が拘泥してしまう罠は、根は同じ人間的な感覚によるものである。我々はそこで、グールドのように完全さを求めるあまり文学(人間的感覚)と科学の二方向に分裂することなく耐えながら、人間として生を営む動きと人間から知的に遠ざかる動きのあいだを往復しつづけることが必要である、というのが本書の結論である。
タイトルにあるような「進化の理不尽さ」とグールドの躓きが同根である、というのは間違っていないとは思うが、第二章までと第三章以降とのつながりの説明がやや薄いのではないかと感じた。ただ、それは著者の中心関心である、科学哲学の領域の話になるのだろう。
読者の知的好奇心を沸き上がらせ、次はこの本を読んでみようと思わせる、よい入門書である。
『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』(吉川浩満)
目次
まえがき(p5)
この本のテーマ(p5)
誰のための本か(p7)
この本の由来(p9)序章 進化論の時代(p13)
進化論的世界像――進化論という万能酸(p14)
みんな何処へ行った?――種は冷たい土の中に(p18)
絶滅の相の下で――敗者の生命史(p27)
用語について――若干の注意点(p30)第一章 絶滅のシナリオ(p33)
絶滅率九九・九パーセント(p34)
遺伝子か運か(p38)
絶滅の類型学(p45)
理不尽な絶滅の重要性(p74)第二章 適者生存とはなにか(p93)
誤解を理解する(p94)
お守りとしての進化論(p107)
ダーウィン革命とはなんだったか(p148)第三章 ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか(p185)
素人の誤解から専門家の紛糾へ(p186)
グールドの適応主義批判――なぜなぜ物語はいらない(p194)
ドーキンスの反論――なぜなぜ物語こそ必要だ(p207)
デネットの追い討ち――むしろそれ以外になにが?(p217)
論争の判定(p251)終章 理不尽にたいする態度(p269)
グールドの地獄めぐり(p270)
歴史の独立宣言(p276)
説明と理解(p298)
理不尽にたいする態度(p337)
私たちの「人間」をどうするか(p395)あとがき(p418)
参考文献
人名索引
事項索引