未来にはきっとろくでもないことしかないだろうけれど。

50代男性のための雑誌に書いた結婚論 (内田樹の研究室)

そもそも結婚は、幸せになるためにしているのではありません。夫婦という最小の社会組織を通じた「リスクヘッジ」であり、安全保障の仕組みなのです。
(……)
夫婦の問題については、愛が足りないとか気配りがないとか、あるべき夫婦に比べてうちは・・・というような「ファンタジー」を語っている余裕はもうありません。今すぐに備えるべきは、75歳以降の老年期の貧困問題です。

結婚制度が「ファンタジー」をまとって始まるのは少なくとも日本においてはごく普通のことだが、その象徴的な力もだいぶ弱体化してきている。実際にはほぼ機能しなくなってきている家同士の紐帯のための顔合わせという行事が重みを失い、結婚制度の象徴である結婚式が簡略化・省略される一途であるのがその現れだ。

「ファンタジー」そのものが批判されるべきことではないが、「ファンタジー」は、その象徴的な力が発揮されるだけの余裕があることに支えられている。基礎となる家庭経営が弱体化した状態では「ファンタジー」を維持できない。できないのに、その現状を見ずに「あるべき家庭」といった「ファンタジー」を唱え続けるのは滑稽で、自滅的ですらある。

この家庭に関する「ファンタジー」は男性のほうが抱きがちで、女性は比較的冷めるのが早い。「結婚するなら年収○○万ある男でないと」といった発言は特に男性側から叩かれてきたが、経済的な安定性の確保が結婚生活における幸福、つまり長期にわたる生活の共同構築において弾力性を保つために必須の条件であることをあえて明言しただけとも言える。

一方で、前提の存在には気付いていても、それを具体的な数字に落とし込むところまで進む女性もまた多くない。配偶者に求める「○○万」という数字は自分の現状と将来展望を反映した試算ではなく、身近な友人やメディアから得た情報に照らしただけの実質のない数字であることが多い。

必要なのは具体的な試算である。
子どもは自分が何歳のときに何人欲しいか、共働き家庭とするのか育児期間中だけはどちらかが家庭に入るのか、両親の老後予測はどうなのか、自分の健康リスクはどの程度なのか、自分の職業キャリアをどう描くのか、そこからその試算を満たすのに必須の金額・さらに余裕を持てる金額がおおまかにでもわかってくる。

試算の結果、ほとんどの人間は絶望するだろう。だからこそ皆その直視を避けている。普段わたしたちが自らの確実な死を忘れて生きているように、直視しがたいものを脇に避けておくことでひとまず今をこなすことができる、という考え方もあるだろう。

だがそのつらい未来予測を見ないようにして生きても、先に苦難があることに変わりはない。
正しい選択をするためには情報を手に入れるしかない。知らなければ、選ぶことすらできない。