書評:『クラウド時代の思考術』(ウィリアム・パウンドストーン)
ミレニアル世代以降、知識とどう向き合うか
検索すればありとあらゆる情報が手に入る時代に、なぜ知識をたくさん持つ者は持たざる者よりもお金を稼ぐのか? リツイートやシェアされた記事の真偽を見極めるためにはどうすればいいのか?
(帯より)
『クラウド時代の思考術』という邦題はこれまたいかにも二束三文なビジネス書っぽい感じなのだが、これは編集の戦略だろう。読者に手に取ってもらうために不本意だろうが知恵を絞らねばならぬ、出版界の苦しみは深い。
ともあれ説明しておくと、本書はそうしたタイトルの書籍にありがちなTipsの寄せ集めのような本ではない。
「事実を簡単に調べることのできる世界にいて、なお事実を知ること、覚えておくことに価値があるのだろうか?」
本書はこうした単純な疑問に答えを出そうとするものだ。著者の結論を先に言ってしまえば、Yesとなる。
何故そう言えるのか? Yesであるなら、その価値とは具体的に何なのか?
ダニング=クルーガー効果
その第一のカギとなるのが、ダニング=クルーガー効果である。
これは簡単に言えば「無知・無能な者ほど自らの無知・無能ぐあいについて理解できない」という認知バイアスのことだ。ソクラテスの無知の知が代表例だが、古来よりこの認知の歪みは多くの知識人により経験則として語られてきた。
コーネル大学のデイヴィッド・ダニング(David Dunning)とジャスティン・クルーガー(Justin Kruger)によってこの認知バイアスが検証されたのは1999年のことだ。
ダニングとクルーガーは、基礎心理学科の学生に対する優越の錯覚を生み出す認知バイアスについて、論理的推論における帰納的、演繹的、派生的な知的スキル、英語の文法、ユーモアセンスなどについての自己評価を調べることによって仮説を検証した。自己評価のスコアが確定した後、学生達はクラスにおける自身の順位を推定するよう求められた。有能な学生達は自身の順位を実際より低く評価したが、無能な学生達は自身の順位を実際より高く評価した。
「愚か者ほど己の愚かさを認識できない」という経験的命題は正しかった。それも、ダニングが事前に予想したよりも大きな度合いでそうだったのである。
インターネットが一般的となった世界では、この効果がより複雑なシナジーを得ることになった。2011年7月14日、ハーバード大学のダニエル・ウェグナー(Daniel M. Wegner)は『グーグル効果』と題される論文をScience誌上で発表した。そこで明らかにされたのは、「オンラインで見つけることができる、と認識された情報は、忘れられる確率が高まる」という実験結果だった。これはすなわち、我々は事実を簡単に調べることのできる世界に生きており、そのこと自体が、我々に事実の忘却を促していることをも示している。
その何がいけないのか?
「グーグル効果」を擁護する声もある。我々が記憶を外部化することは、何も今にはじまったことではない。その事実そのものを記憶せずとも、どこにアクセスすればその記録を参照できるかを理解できていれば十分である……etc.。
それに対してパウンドストーンは次のように反論する。
「知識をデジタル・コモンズ(電子情報の共有地)に外部委託してしまうこと、知識の代わりにこのデジタル・コモンズを使いこなす準知識を人々が身につけるようになることは避けがたい変化だが、それが良い結果をもたらすとは限らない。
最小限、その事象にまつわるおおまかな絵図を頭に描けるだけの知識があってはじめて、自分の無知に気づかないというダニング=クルーガー効果から逃れることができる。そのときはじめて知識のギャップを埋めるためにグーグルを使うことができる」
しかし、誰もがインターネットを使いこなし、グーグル化する世界に最適化していくなかで、どれだけ無知の知を認識した賢者たろうとするかは個人的判断で、自己責任の話ではないのか?
否。なぜなら、我々は互いの判断が互いの生に大きく影響を及ぼす世界に生きているからである。
それがよくないという気がかりな証拠がある。(……)世界地図の上でウクライナがどこにあるのか、それを探してみなさいという問いかけをした。
(……)
最終的な結論として、研究者たちに明らかになったことは、被験者たちの推測がウクライナの現実の場所から、遠く離れれば離れるほど、ウクライナへのアメリカ軍の介入を支持する度合いが増すように思われたことだ。(p66)
単に事実を知っているか否かという差が、人々のあいだの政治的判断や支持政策にも影響を及ぼすとすれば、それは「自己責任」などという言葉で片付けられる問題ではない。
ここでまた疑問が浮かぶ。「単に事実を知っているか否か」? いや、それよりも重要なのは、例えば「ウクライナへのアメリカ軍の介入」が是か非か論理的・客観的に判断する能力ではないのか? 合わせて言うなら、そのような判断能力を持っていたり、それを身につけられるだけの教育を受けた者は、当然そうでない者よりウクライナの場所を正答する可能性が高いはずだ。つまり、ウクライナの地理問題の結果と政策判断の傾向は、擬似相関ではないのか?
どうもそうではなさそうなのだ、とパウンドストーンは言う。
「不法移民を防ぐために国境フェンスを作るという話がある。あなたはこの考えをどう思いますか?(……)」
事実の質問に対して、正しく答えを出すことができればできるほど、その人は国境フェンスの建造を支持する度合いが低くなる傾向にあった。(……)これはフェンスを支持する人々の、教育レベルが低いということではけっしてない。彼らは同じ教育レベルや、同じ年齢の人々に比べて、ただ知識が少ないというだけなのである(p67)
パウンドストーンが表明したいのは「物を知る人々は当然リベラルになるはずだ」ということではない(どちらかと問えば彼自身がリベラルであることは間違いなさそうだが)。
そうではなく、雑多な知識を身に着けた人であれば、国境フェンスというアイディアを前にしたとき、どこかでふと立ち止まるはずだ、ということである。
「経済的に考えてみよう。"これ"はいったいいくらかかるんだ?」
「歴史を振り返ってみれば、万里の長城がその役目を果たせなかったことは明らかだ。"これ"がそうならないと何故言える?」
これらの問いを乗り越えて、なお国境フェンスという考えを支持することはもちろん可能である。だが、それはこれらの問いを素通りした支持とは似て非なるものだ。
「事実を簡単に調べることのできる世界にいて、なお事実を知ること、覚えておくことに価値があるのだろうか?」という問いから本書ははじまった。その回答の一つがこのように示される。
この前提につきまとう問題は、われわれは事実を調べないということだ。ほとんどの人々は、ウクライナの場所、アメリカでイスラム教徒の占める割合、連邦予算の額のような事実を、けっして検索してみようとしない。(……)そしてわれわれは、自分の考え方や投票先や政策を形作ることになる誤解を胸に秘めて歩き回っている。
(p93)
知識のプレミアム
「事実を知ること、覚えておくことになんの価値があるのか?」という問いに対して、第二章では、より直接的にわれわれのモチベーションを引き出してくれそうな回答が提示される。
パウンドストーンの調査によれば、「より多くの種々雑多な知識を知る者がたくさんの金を稼いでいた」というのである。
知識の豊富な人々はたくさんのお金を稼ぐ。それは教育や年齢が一定に保たれたときでさえそうなのである。(……)
そこには知識に起因した大きな所得の格差がある。そしてそれは、教育や年齢に起因するものではない。(p162-164)
教育レベルや年齢という要因を排除したうえで、なお"一般常識"クイズの点数は所得の多寡と強い相関関係があった。
興味深いのは、所得との相関関係がもっとも強く見られるのは広範囲な一般常識クイズにおいてであり、科学知識やスペリング・文法、文化的知識、スポーツに関するマニアックな知識と、所得とのあいだには何の関係も見られなかったということだ。言い換えれば、専門的ではない事実的な知識の多寡が、所得と大きな相関関係を持っていたのである。
これは何を意味するのだろう?
“一般常識"と所得の相関関係はすでに明らかだが、これは因果関係なのだろうか。我々はクイズ本を読み漁り"一般常識"を身につけることで所得を増やすことができるのか? あるいは所得が増えた結果として我々は物知りになるのか? それとも、第三の因子が"常識力"と所得のどちらとも正の相関を結んでいるのか? (たとえば記憶力とか、好奇心とか、保護者の資力とか?)
パウンドストーンの推測は、これらすべてがそれぞれある面で正しいということだ。そして生まれもった記憶力や両親を取り替えることはできないが、自ら学ぶことはできる。外界に対し注意を払い、より多くのものを吸収していく態度が所得の上昇につながるのである。
文化を知らない世界
専門的、あるいはマニアックな隘路に陥らず、情報に精通し知識を身につけるためにはどうすればよいのだろうか?
パウンドストーンの提言は次のとおり。
- ニュースのカスタマイズをやりすぎない
- 賢いニュースソースを選ぶ
- どうでもいいウェブブラウジングに時間を割きすぎない
現代日本的に言い換えてみればこうだろう。
「Yahooニュースやはてなブックマークはクソ」(笑)
以前であれば「インターネットよりも新聞を読め」というアドバイスが有効だったのだろうが、今はそうでもないのが難しいところだ。首相が特定の新聞を読めと指示するということは、まあ逆説的にそういうことである。
私見で勝手に選んでみると、質の高いニュースソースとしてはBBC、Reuter、CNN、AP通信、アル・ジャジーラあたりがよいと思う。
国内の放送局や新聞社、ニュースポータルサイトに触れていた時間をこういったソースに割いてみるのは自分の知的レベルを測るのによい実験となるはずだ。難しい、理解できない、知らないことばかり……と感じてしまった場合、あなたはどれだけ自分が賢いつもりであっても、ダニング=クルーガー効果に陥った大衆のひとりに過ぎないのだろう。
また知識の乏しい者たちはどのようにして学びうるのか、という問いに対して、パウンドストーンは「審議方式の世論調査」という対案を挙げる。知識に乏しい大衆も、事実のデータを知り議論を通過することで、より優れた意見を持つことが可能になるのである。
一方で、「多様な意見を取り入れるために、自分の立場と異なるニュースソースに触れる」というたまに見かけるアドバイスに対して、パウンドストーンの回答はNOだ。彼の調査によれば、敢えてFOXニュースを観るリベラルは、FOXニュースを観る他の保守層よりバカだった。
なぜそうなのかという解ははっきりとは示されないが、これは面白い調査結果だった。おそらく人々は、自分の意見に近いニュースソースからのほうが、物事を素直に学ぶことができるのだろう。
序 事実はもはや時代遅れ
Ⅰ ダニング=クルーガー効果
1 「ジュースを塗ったのに」
2 無知の地図
3 愚か者の歴史
4 五人に一人の法則
5 情報に乏しい有権者Ⅱ 知識のプレミアム
6 事実に値札を付ける
7 エレベーター・ピッチ・サイエンス
8 グラマー・ポリス、グラマー・ヒッピー
9 ナノフェイム
10 エビはコーシャーか?
11 哲学者とリアリティー番組のスター
12 セックスと不条理
13 ゴールポストを動かす
14 マシュマロ・テスト
15 浅学の価値Ⅲ 文化を知らない世界
16 知的レベルの低下が厳しいとき
17 キュレーションの知識
18 氷の謎
19 キツネとハリネズミ謝辞
あとがき
参考文献
原注
索引