よりよき道はどこにあるのだろうか。――「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば:象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(ビデオ)(平成28年8月8日) – 宮内庁
心情的には今上天皇陛下の御心のままになさいませと言うたったらええやんけと思う。またご自身が指摘されるように経済的にみても、いつかは必ず崩御され、年齢や2度の外科手術を経た健康状態を考えるとそれが遠くない可能性が否定しきれない中で、特にこのような社会・経済的状況のなか、重たい自粛ムードを招く要因をこのまま放置していてよいのかというのはもっともな問いである。

憲法第4条により天皇は国政に関する権能を有しない、つまり「生前退位のための法制度を整えよ」と指図することも提案することもできない。かといって時の政府や国会が何もなしに「陛下の心情をお察しして」と動くのは天皇制の政治利用や不当介入との誹りを受ける。

今回の「お気持ちの表明」は、国政に影響力を発揮したとされず、かつ無用な拡大解釈を許す余地のない限界ギリギリのラインまで踏み込んだものだった。……というか、一歩引いてみて表明された内容と表明したという事実のみを見れば「酌んでくれ」との意を持っているとしか読みようがなく、ほぼアウトではないかと思う。

本来より厳格な追及の視線を受けて然るべきところ、そこまでの状況となっていないのは、何より今上天皇が国民に見せてきたその姿と行いにより、悪意や私心、あるいは軽挙といったものから極めて遠い存在だとみなされていることによる。これはご自身の言葉通り、今上天皇が「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添う」者であったからだ。

ただ、こうした「お気持ち」により事実上の影響力を発揮してしまうことが、前例としてあってよいのかというところに苦しさがある。今後いつまでも、いずれの世でも必ず皇位継承者が「できたお方」である保証はないし、権能を持たないということが逆説的に天皇制を不可触のものとしてきた以上、今上天皇であるからこそその道が開けそうになっているが、それこそが彼(自らを個人とした意を汲み、敢えて彼と呼ぼう)の守らんとした国民統合の象徴としての役割を損じてしまいうる。

ほかならぬ今上天皇の気持ちに沿う行為が、彼のあり方を可能にしたもの、彼が自らの去ったあとも守り続けたいと思うものを崩しかねないという葛藤がここにある。

どちらの隘路にも陥らぬ、よりよい道が探り出され、選ばれることを願いたい。